南相馬は、今 〜希望の芽〜
この人形、めんこいでしょ。
その名も「てるてる馬坊主」。 生みの親は、なんと女子高生。南相馬市原町区にある相馬農業高校の生徒さんが作ったものです。
「7月下旬の野馬追いに、従兄弟が出場するのですが、いつも梅雨明けと重なって天気が心配。雨が降っても開催されます。だから天気になるように、てるてる坊主と馬を掛け合わせて作りました」
震災が起きた時、1年生だった彼女たち。みんなバラバラに避難して、ようやく授業が再開された5月、校舎は使えず、相馬市のサテライト校の「体育館をボードで仕切った教室」で、授業を受けていました。
農業高校なので、みんな実習が大好き。「畑に出たい」「牛に会いたい」「実験がしたい」。そんな思いが募りました。同年11月、原町区の元の校舎へ戻って授業再開。
南相馬市全体の稲作はずっと見送られ、大人たちの心が沈みがち。それでも彼女たちは「みんなを元気づけよう!」と奮起。マリーゴールドを植えたプランターを駅や郵便局に並べるなど、農業高校ならではの活動を続けてきました。
そこで登場したのが「てるてる馬坊主」。学園祭に訪れた人たちに作り方を教えるワークショップを開いたところ、これが大好評。復興を目指す南相馬の人たちの心を和ますゆるキャラとして、街の人気者になっています。
彼女たちは、昨年10月、被災した海辺の農地を花畑に変える「菜の花プロジェクト」にも参加しました。もうじき黄色い菜の花が、咲き出すことでしょう。
そのプロジェクトの中心は「南相馬市ふるさと回帰支援センター」。副会長の宮﨑和志さんは、花の苗を栽培する生産農家でもあります。
目下、育種が難しいといわれる「大輪の黄色いクレマチス」を咲かせようと奮闘中。これが実現すれば、「珍しいだけでなく、復興を目指して咲く、シンボル的になるはず。野菜のハウスでも作れるので、いつか町中で栽培したい」と話されていました。
「黄色いクレマチス」を、これからどうやって咲かせようとしているか、今月号の「農耕と園藝」で詳しく紹介しています。
→http://www.seibundo-shinkosha.net/products/list.php?category_id=10
宮﨑さんは原町区で栽培を続けていますが、さらに南の小高区では農業はまだ再開されていません。現地はまだ、こんな様子。
「えっ、消防車がそのまま」
「あれは、消防団の車だと思うよ」
と、同行してくれた宮﨑さん。誰かを救助しようと出動して、そのまま津波に飲まれてしまったのでしょうか。まるで時間が止まってしまったかのようです。
そんな小高区から原町区へ移転して、栽培している花農家さんがあるときき、いきなりそのハウスを訪ねました。
花卉農家の根本さん親子。父の修二さんが、避難先で育てたシクラメンは、今年の2月、花卉品評会で農林水産大臣賞を受賞。スゴ腕の名人です。
震災前は10人以上人を使って、立派なシクラメンの鉢植えを作っていました。今、原町区で借りているハウスは8a。以前の規模にはとても及びません。
「50aぐらい必要ですか?」
「いやいや100aは必要です」
仮設住宅からハウスへ通いながら栽培を続け、新しい畑も探していますが、なかなか見つからないそうです。それでも…
ハウスでは、シクラメンが芽を出していました。
「うわちっちゃい。これがシクラメンの赤ちゃんなんですね」
これが立派な鉢植えに育つ。人間界でもそうですが、産まれたての赤ちゃんがすくすく育つ姿は、みんなの希望です。こんなにいっぱい、小さな希望が育っている。
こちらが、南相馬市ふるさと回帰支援センターの高野さん。
道の駅南相馬の中に、事務局があって、私が泊めていただいた農家レストランやボランティア、菜の花プロジェクトに関する情報など、南相馬の「いま」がわかります。
震災から2年たって、初めて出向いた南相馬市。行く前は「遅くなってごめんなさい」って思っていたけれど、決して遅くはありませんでした。
現地に行くまでわからなかった、「希望の芽」にたくさん出会えたからです。
■南相馬市ふるさと回帰支援センター
http://www.msouma-furusato.jp
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