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2013年3月11日 (月)

南相馬は、今 〜希望の牧場にて〜

「小高区へ行ってみませんか?」。取材先の農家さんの案内で、人気のない南相馬市内の山間の道を、車で南下しました。すると、

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ゲバ文字で「決死救命、団結」と書かれた、ものものしいブルドーザー。そして「殺処分反対」の文字。「そうか。ここが希望の牧場なんだ」

ネットや写真でその様子を見たことはあったのですが、現場を訪れたのは初めてでした。

住民以外の人間の立ち入りが許されているエリア、そのギリギリ南端に、その牧場はありました。
原発事故直後、警戒区域内にはたくさんの家畜が残されてしまいました。飼い主は泣く泣く、断腸の思いで牧場を離れるしかなく、取り残されたまま餓死したり、野に放たれて交通事故に遭ったり。野良牛となって、今なおたくましく生き続けている牛もいるのです。
国はそんな家畜たちを「殺処分せよ」との方針を打ち出しました。けれど殺さずに、ずっとここで牛を飼い続けている人がいる。それが「希望の牧場」なのです。
ブルドーザーの横には「警戒解除により 途中まで入れます どうぞ」の文字。「では、遠慮なく…」と、車を進めていきました。すると……
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うわあ、牛さんだ。こんにちは。いるいる。干し草をむしゃむしゃお食事中。
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あっちにも、いるいる。
全部肉牛だっ。
(人間が乳を絞らないと生きていけない乳牛の姿は見当たらないのでした)。
黒毛が多いけど褐毛もいる。肉として出荷するために肥育をかけた牛ほど太っていないけど、私の目にはみんな元気そうに見えました。
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広ーい!
寒さも原発事故も「へのカッパ」といわんばかりに、牧場を闊歩しています。
あれれ、ちっちゃな子牛もいる。震災以降に産まれたようです。
原発から20キロ圏内の場所で、肉になる宛はないけれど、殺処分を受け入れず、どっこい生きてる牛がいる。その姿を目の当たりにしたのでした。
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東京へ帰って、2月16日、三鷹で「希望の牧場・ふくしま」プロジェクト代表の吉沢正巳さんの講演を聞く機会がありました。
震災直後、牛たちの飼料となるモヤシの絞りカスを運ぶ道すがら、残された牛や豚たちが繋がれたまま死んでいく姿を目の当たりにして、
「牛たちを、こんな目に遭わせるわけにはいかない」と決意したそうです。
殺処分に同意した農家さんの中には、申し訳ない気持ちでいっぱいで、ノイローゼになってしまう人もいる。「なぜ、お前のとこだけ生かすのか」という批判の声もある。それでも吉沢さんは、
「牛を通じて、原発の時代を乗り越えたい」と訴えておられました。
今、牧場にいる牛たちは約400頭。去勢が間に合わず子牛も産まれていて、この春出産予定の母牛もいるそうです。
2震災前、警戒区域内には、約3500頭の牛と約3万頭の豚、そして約44万羽の鶏が生きていて、その過半数が餓死したといわれています。
その中で、餓死でも殺処分でもない「第三の道」を求めて、約10件の農家が約1000頭の牛を飼い続けています。
たとえ肉牛として出荷できなくても、「無人の里山や田畑の保全管理に牛の放牧を利用する。やがてバイオ燃料の製造が始まれば、絞り粕は牛の餌になる。汚染された地域でも閉じた循環を作ることで、約20年といわれる牛の寿命を全うさせることはできる」と吉沢さん。(「希望の牧場〜ふくしま〜」の小冊子より)
被曝を顧みず牛の世話を続ける吉沢さんやボランティア、そして全国から寄せられる募金や支援によって、このプロジェクトは続いています。

震災から2年。多くの家畜が犠牲になったこと、生産者の無念があったこと。
そして今なお生き続け「希望の道」を模索している牛たちがいることを、忘れてはいけない——改めてそう思ったのでした。

■希望の牧場〜ふくしま〜

http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp

■闘う“ベコ屋”吉沢さんの記録
針谷 勉『原発一揆』(サイゾー)

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