2012年5月 9日 (水)

ニコちゃんと震災、そしてロックフェス 〜茨城の魚たち①〜

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このフライ、何だかわかりますか?
その名も「ニコちゃんナゲット」。お魚のフライです。

3月24日、茨城県ひたちなか市の海浜公園で開かれた、「ひたちなか市里浜元気市」でいただきました。
揚げたてのサクっとした食感は、魚より鶏肉に近いかも。
ジューシーで油との相性もよく、なぜかビールがほしくなる味わい。

ニコちゃんは、コモンカスベとアカエイというエイの仲間の総称。
会場では那珂湊漁協女性部のみなさんが、揚げたてのフライを販売していました。

「なぜニコちゃんっていうんですか?」
「それはね、魚をひっくり返した時、腹側に空いてる空気孔の位置が、まるで笑ってるように見える。だからみんな、ニコちゃんって呼んでいるんです」
そう教えてくれたのは、漁協女性部長の根本経子(きょうこ)さん。

エイって平べったくて目つきがコワい。そんな悪役タイプのイメージが強いので、最初は「ニコちゃん」という呼び名が、ピンときませんでした。

ところが……

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↑こちらは、アクアワールド大洗水族館の水槽を泳いでいる、エイの仲間。
ガラス越しに水槽の底から浮上する時、お腹を見せてくれました。
「あっ、ホントだ!ニッコリ笑ってるうぅぅ……みたいで、かわいい(笑)」

目つきは悪いが、いつもお腹で笑ってる。そんな“二重人格!?”な、魚らしい。
いつも港に水揚げされる魚と慣れ親しんでいる、奥さんならではのネーミングです。


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根本さんのご主人は、底引き網の漁師さん。ヒラメやカレイ、メバル、アンコウなど、「底魚(そこうお)」と呼ばれる魚たちを水揚げするのが得意です。

「コモンカスベ? アカエイ? 都会では、めったに見かけませんね」
ヒラメやアンコウは高級魚として出回るのに、同じ網にかかるニコちゃんは値がつかず、地元の人が煮付けや唐揚げで味わう程度。都会に出回ることは、めったにありません。

ちゃんと地元の市場に水揚げされて、そこそこおいしいのに、活用されていない魚たちは、未利用魚と呼ばれています。

そんな未利用魚のニコちゃんを、商品化して世に広めよう! こうして3年前、漁協女性部のみなさんは、「ニコちゃんナゲット」を売り出しました。

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ニコちゃんナゲットは、春のかつおまつりや秋のさんままつり、そしてイベントでも大人気。

毎年夏、国立ひたち海浜公園で開催される、日本有数の夏のロックフェス「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」の会場でも、ブースを出して販売。人気者になりました。

那珂湊の漁港には、かつお船やさんま船も水揚げします。
ニコちゃんナゲットに加え、漁協女性部の人たちは、イベントなどに積極的に参加して、さんまの干物やつみれ汁、イカめしなどを販売してきました。

ところが……

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「震災で、加工場が被災してしまったのです」


津波は東北3県だけでなく、茨城県沿岸部も襲いました。
漁師さんたちは「家より船だ」と、危険を顧みず沖へ逃れ、船を守りましたが、大事な網などの漁具や、自宅を流されてしまった人も少なくありません。

震災直後、岩手・宮城・福島の漁港に比べると、茨城県の情報は少なく、支援の手も届きにくかった。そう考えると、二重の意味で「被災地」なのかもしれません。

漁協の1階で加工を行なっていた。漁協女性部のみなさん。津波が襲って、加工に必要な機具や多くの中の在庫を失いました。それでも「みんなで元気を出そう!」と、残された材料や設備を使って、加工と販売を再開していたのです。

しかし……
「ニコちゃんから、セシウムが検出されたのです」

たしかに。茨城県沖では水産物のモニタリング調査が、継続的に行なわれていますが、コモンカスベとアカエイからは、他の魚よりも高い数値が検出されています。

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那珂湊の海岸部には、魚料理をメインにした民宿がたくさん並んでいます。
特に冬場は地元で獲れる「あんこう鍋」が売り物。
だけど昨年の冬、観光客はめっきり減ってしまい、海辺の民宿街はひっそりとしていました。


今年4月、水産物の放射性物質の基準値が、500bq/㎏から100bq/㎏へ。

操業停止が続く福島県に続き、その影響を最も大きく受けるのは、被災しながら操業を続けている茨城県の漁業者たちだといわれています。

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「このまま黙っていたら、風評被害は進むばかり。だからこそ女性部の活動を続けて行きたい」と根本さん。今、使っているのは震災以前に漁獲されたニコちゃんを冷凍保存したものです。

原発事故が起こる前に、材料として仕入れていたニコちゃんは、女性部の大事な宝物。
津波の被害を受け、冷凍庫の電源が落ちてしまった中、根本さんたちは保管場所を求めて2度も別の場所へ移しました。−40℃で再凍結しましたが、「冷凍焼けして使えないかも」……

検査機関で調べた結果。
「大丈夫、冷凍焼けもしていないし、細菌もない。ニコちゃんは、元々冷凍に強いのです。今年もちゃんと使えることがわかりました」

目下、肉に近い食感を生かし、茨城県立海洋高校の生徒たちや、地元の商工会とコラボして「ニコちゃんカレー」を開発中。
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そして、今年もまた「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル2012」に参加します。

本番は8月3〜5日、
奥田民生、スピッツ、Chara、木村カエラ、ケツメイシ、サンボマスター……
私が知ってるだけでも、錚々たるメンツが勢ぞろい。

60組以上が参加する、日本のロックの一大イベントです。
http://rijfes.jp/contents/

外国人アーティストは1人もいないこともあり、
地元では「中高生も安心して参加できる夏フェス」として、すっかり定着しているようです。

大事に守ったニコちゃん商品はもちろん、放射性物質が検出されていない、軟体動物のイカやタコ、貝類を使った加工品も、販売の予定です。

ロック好きのみなさん、
「東北へ行くのは大変だけど、茨城なら」と思ってるそこのあなた……

茨城の漁師の奥さんは、頑張っています! 

ロックフェスの会場へ行ったら、ニコちゃんと共に奮闘する、
那珂湊漁協女性部のブースを、訪ねてみてください!


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2012年4月30日 (月)

セシウムを吸わぬ米 〜ままやの団子〜

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大玉村のコメ農家、鈴木博之さんには、もうひとつの顔がある。
それは「団子屋のオヤジ」だ。

大山小学校の向かい側に、緑の屋根に赤いひさしが目印の「ままや」という店がある。
まんま=ごはん。コメ農家が作る団子屋さんだ。
鈴木さんは、この店の経営者でもある。

店に入ると、みたらし、ゴマ、あんこ、草団子、ゆず味噌……うまそうな団子がズラリと並んでいる。
「うわあ、美味しそうですねえ」

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ふつう団子を作るときは、餅米を粉にして、水を加えて餅のような形にまとめてから、
それを1個ずつ丸めていく。
鈴木さんは餅米も栽培しているから、それを粉にして使っているのだと思った。
ところが店内に、製粉機は見当たらない。やっぱり粉屋に頼むのか?
「どこで粉に挽いてるんですか?」

「うちの団子は粉でなく、ごはんから作ってる。ほれ、よっく見ろ!」
と、オヤジが指さす先には、こんな表示が……

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「ままやのだんごはごはんです」
ぬわにぃ? ままやとは「ままのまま」つまり「ごはんのまんま」の団子屋さんなのだ。

それにしても、なんでまた、そんなことができるのだろう?
農家が自ら餅米を栽培して、おこわやお赤飯、お餅を作って販売するのは何度も見た。
コメを蒸して、臼と杵、もしくは餅つき機で、どんがどんが搗くと粘り気が出る。
だけど団子は見たことがない。自力で粉にするには、手間がかかるからだ。

最近は、コメ粉のパンがブームだったりするので、小型の自家製粉機を持っている農家もある。
だけど「ままや」には、それがない。ご飯から直接団子を作るなんて、見たことがない。

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「蒸した米を、この機械に通して、それから隣の餅つき機で搗くんだ」

ほほー。これがミラクルマシンなのか?
だけど、この機械を通せば、何でも団子になるわけじゃない。
コシヒカリやひとめぼれで、同じように団子を作っても、時間がたつと硬くなってしまう。


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秘密は「品種」にある。
その名を「LGCソフト」という。

腎臓病患者は、たんぱく質の摂取制限が必要。普通のコメではたんぱく質が多すぎて、腎臓に負担がかかってしまう。このLGCソフトは、たんぱく質の約5割を占めるグルテリンが約半分。通常のコメよりも可消化性のたんぱく質が2〜3割少ない。

厳しい食事制限をしたり、ご飯にこんにゃくを混ぜて食べていた腎臓病患者の食事療法用のおコメとして実用化。鈴木さんはこの特殊な機能を持つ米を、早くから栽培していた。

もともと腎臓病の患者さんのために育種されたおコメだが、一般人がご飯として炊いても、もちろんおいしく食べられる。

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うるち米と餅米の中間的な性質を持っているから、
こうして丸めると、団子のような弾力と食感が生まれる。

最初から違うコメだと知っていれば「ちょっと軽いかも」と感じるかもしれない。
何も知らずに「お団子ですよ」と出されれば、ごはんから作っているなんて、気づかないだろう。

そしてこのコメには、もうひとつ特性がある。
「セシウムが、検出されなかったんだ」

ぬわにっ? そんなコメが、ホントにあるのだろうか?

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↑こちらはコメの放射性物質の検査結果。検出限界1bq/㎏の、ゲルマニウム半導体検出器で測定した結果なので、精度は高い。

鈴木さんが、昨年栽培したコメは9品種。微量のセシウムが検出された。
その中で、セシウム134も137もどっちも不検出だったのが、このLGCソフトだった。
同じように低アミロース、低グルテリン米として育種された「春陽」も1bq/㎏と、少ない。
もしかすると、単なる偶然ではないのかもしれない。

腎臓病の人に役立って、普通にご飯として食べてもそこそこ美味しい。
そんでもって、餅にも、おこわにも、団子にもなれる。
鈴木さんは、このコメで日本酒まで作っていた。なんて変幻自在なんだろう。

そして、セシウムを吸わない!
そんなコメがあったのだ。

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これが偶然なのか、他の農地でも有効なデータなのか、
「検証してみなければわからない。だけど品種によってある程度セシウムを回避することはできるかもしれない」と、鈴木さん。

いずれのコメも基準値をずっと下回っている。不検出のコメもある。だけど売れない。
「2・2・6の法則だ」

こんな時、客の2割は絶対買わない。他の2割は応援しようと買う。そして6割はどっちつかずでウロウロ。この人たちの「不信」と「不安」を、「信頼」に変える方策はないのだろうか?

4月20日、鈴木さんは、二本松市の渡邊永治さん、猪苗代町の武田利和さんと、「原子力損害賠償紛争解決」センターに、和解の仲介を申し立てた。

農地を削り取るのでもなく、反転耕するのでもなく、新たな土を「客土」することで、放射性物質を封じ込めたいと。3人合せて40ha分の費用、35億円を請求している。

東電に土を穢されて、最も痛手を被っているのは、コメを専門に作り続け、まっすぐ消費者と向き合い、安心と安全に自信をもって販売してきた専業農家。土を汚されたまま、セシウムを吸い上げるかもしれない不安と闘いながら栽培を続けるのは、納得がいかない。

この日、鈴木さんは村の田んぼの除染作業をしてきたそうだ。
「朝からプラウ(鋤)を使って反転してきた。土の中のセシウムを薄める作業。いつもの年より作業が多くてくたびれた。やっと自分の仕事ができる」

今年もいつも通りコメを作る。去年は何もかも手探りだったけど、今年はセシウムと闘う「戦略」を立て、データをとりながら栽培を続ける。

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震災がなければ、原発が事故を起こさなければ、まだまだ団子ビジネスに力を入れるつもりだった。
「ご飯から団子が作れるなんて画期的。生地だけ作って、他の店に卸すことも考えていた」
けれど、すべてが頓挫してしまった。

それでも「ままや」は、今日も営業を続けている。


■お米工房 ままや■

福島県安達郡大玉村大山字大江田中128-17
TEL/0243-48-1181
営業時間/10時〜18時30分
定休日/月曜日

2012年4月19日 (木)

放射能対策本部最前線 〜大玉村の鈴木さん〜

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原発から60キロ。福島県大玉村に、たった一人で東電に立ち向かっているコメ生産者がいる。
㈲農作業互助会の鈴木博之さんだ。


昨年の震災直後、震災の影響について電話でお話をきいたとき、
「もう腹をくくった。いつも通りにコメを作る」と。

そして、
「検査の結果、基準値を上回る値が出たら、国に買い取ってもらうまで。そしてもし安全と認められたら、ちゃんと検査を受けて証明書をつけるから、安心して食べてほしい」と話していた。

そうして収穫されたH23年産米は、すこぶるできがよく、食味もよかった。ところが——

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今年2月末、倉庫には、コメの袋が山積みになっていた。
鈴木さんは、9品種のコメを栽培して、そのすべてを最も精度の高い検出限界1bq/㎏の測定器を持つ検査機関で調査した。その結果は0〜13bq/㎏。この4月からスタートした100bq/㎏を下回っていて、顧客にはそのコメの検査表のコピーをつけて販売している。

それでもコメは売れない。

「安全なんですか?」お客様のそんな素朴なギモンに、答えられない。
「タバコやストレスに比べれば、発がん性は低くて…」そんな目クソ鼻クソの話はできる。だけど最終的には疲れちゃうんだ。「大丈夫」っていいきれない。ホントのところは、オレだってわからない。
作ってる人間が、自信もって売れないんだから、消費者が買うはずあるかい? これはキツい。

——鈴木さんが、東電を告訴したのはなぜですか?

損害賠償とは別に刑事告訴したのは、コメを売れなくされたから=威力業務妨害罪。
そして、長年培ってきた土性=土の性質を壊されたから=器物損壊罪。
2度訴えたけど「判断がつかないので、お返しします」って文書が返ってきた。
受理でも、不受理でもない。なかったことにされちゃった。

オレたちは、先祖代々コメを作ってきたけれど、放射能の知識は織り込んでこなかった。
それでも損害を立証しろと。弁護士には、農業のことも放射能のこともわからない。
農業における原子力災害を、こまかーく規定していくと、ムリなんだってば。

鈴木さんは、別件で訴訟を起こし争った経験もあり、裁判に関しては決して素人ではない。
たしかに東電が農家と土に犯した罪は、裁かれるに値するけれど、既存の法律で闘うには、あまりに前例がなさ過ぎて、闘う術が見えないのだ。

——福島の他のコメ農家が訴えないのはなぜでしょう?

この辺は農業依存度が2割。コメが売れなくても、とりあえず8割の収入があるんだから、なんとかやっていける。30年後の子どもの健康は心配だけど、とにかく今月の学費と給食費払うのが先。みんな今日を生きるだけで精一杯なんです。

元々専業の大規模農家は少ない上に、農協に出荷する農協派と、うちみたいに直接業者や個人と取引をする商系派がある。農協派は販売委託しているから、実質的な被害は少ない。

鈴木さんは、正式にコメの小売り許可を取得して販売している。お客さんと直接つながって、栽培法もすべて開示して、自信をもって「安心・安全」なコメだと伝えて売ってきた。鈴木さんのように農業依存度100%、「顔の見える」売り方で消費者と対峙してきた農家ほど、痛手は大きい。


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——栽培に当たり、どんな放射能対策をされましたか?

セシウム対策として、田んぼに塩をふってみたけど、結局意味がなかった。そんなことやる前に、土壌の汚染状況を、把握しなきゃ、何もできない。セシウムに関しては、田んぼの土壌調査の方法が確立していない。

いろんなコメを作った中で、ひとつだけまったくセシウムを吸わないコメがある「LGCソフト」。腎臓病の人向けの低アミロース米なんだけど、これだけはセシウム134も137も検出せず。今年もう一度試験栽培してみるけど、放射能を吸いにくい品種があるのかもしれない。

それから、水を限界まで切って節水栽培。イネが枯れる一歩手前まで、水を控えてコメ作りをすれば、吸わないかもしれない。根っこが深く刺さるってことは、セシウム濃度の低い水分を吸い上げる。田んぼの表面、バリバリ割れてもいいから、水を溜めないで根を下に入れる。あとは粗植。

去年、セシウムは表面にあったけど、だんだん下がっていくはず。それも今年テストしてみる。

——放射能対策は、現場の実践から見えてくるんですね。

織田裕二がいっただろ? 「事件は現場で起きてる」って。
東京や研究機関のちっちゃな田んぼで決めるな。大面積作ってる、現場のコメ農家に聞け!

——今、東電や政府にいいたいことは?

国民として、子どもを持ってる親として、食料を安心して買えなくなった責任は、東電にある。
なぜこんなに、食料に気を使わないといけなくなってしまったのか? そういう意味では消費者も被害者です。

原子力を推進したヤツは総退陣して、反省と統括に徹してほしい。
事後対策は新しいグループ、つまり東大派でなく、京大派に立ててほしい。

——消費者に伝えたいことは?

これまでは、1年中うちのおコメを食べてほしい。長いおつきあいがしたいと販売してきました。
でも、それが変わりました。うちのコメはすべて基準値以下です。基準値以内のコメを12カ月のうちの1カ月だけなら、「安全」といってもいいんではないかと。
1年中毎日食べてとはいいません。年に一度だけ、うちのコメを使ってください。

2012年3月25日 (日)

葦原の復勝米 〜石巻市北上町にて〜

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■津波を被った田んぼのご飯

2月末、石巻市北上町の農家、大内弘さんのお宅へおじゃましました。
すると食卓の上に真っ白なご飯。大内さんが作ったおコメです。
「もしかして、津波かぶった田んぼで穫れたお米ですか?」
「そうです」
 夢中でバクバク。気がつけば、もう一膳、奥さんにお茶碗をさし出している私がいました。

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奥さんの恵さんが作ってくれた、ホタテの稚貝の味噌汁も、
穫れたばかりの生ワカメの和え物も、竹の子の煮物も、
何もかもんまい、んまい! 

田んぼがあって、海も近い。本当に豊かな場所なんだなあ。

地のものいっぱいのお昼を呼ばれているだけで、もうしあわせ。
ここが被災地だということを、思わず忘れそうになるのでした。


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こちらが大内さんご夫妻。夫の弘さんは12年前に脱サラして就農。
20haの田んぼでひとめぼれやササニシキを栽培していましたが、
去年の津波で田んぼが水没してしまいました。

石巻は水産都市のイメージが強く、報道されるのは海辺の光景や漁師さんの活動が多いのですが、
北東部の旧北上町は、水量の豊かな北上川とその支流沿いに、豊かな水田が広がっているのです。


■水を入れかき混ぜ流す、除塩作業を繰り返す

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これが、震災直後の田んぼの様子(撮影/渡辺征治)
遠くにお寺とお墓が見えますが、手前に何があったのか、まったくわかりません。

津波は、川を逆流して田んぼや家を一気に呑み込みました。

大内さんの田んぼは北上川の河口から約6キロ。
川の対岸に大川小学校の校舎が見えます。
70名の児童が亡くなって、今なお4名の子どもたちが行方不明のままです。

「なぜ逃げなかったの?」
 あのニュースをきいて、誰もがそう思いました
「まさか、ここまでくると思っていなかった。子どもの手を握っていたのに、津波に揉まれて離してしまった人も…」
津波の規模が、ずっとここで暮らしていた人たちの想像を、はるかに超えていたことを知りました。

山間にある大内さんのお宅は無事でしたが、
「もうコメは作れないと思った」と弘さん。

それでも、水が引き、ガレキを撤去して、用排水路が使える。
そんなごく一部の田んぼで、何とかコメ作りを再開できるとわかったのは、5月12日。
いつもならと田植えが終っている時期です。

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今年もなんとかコメが作れる。
だけど、海水を被った田んぼにそのまま苗を植えてしても、イネは育ちません。
ガレキとヘドロを取り除き、「除塩」作業にとりかかりました。

田んぼに水を入れ、代掻きハローでかき回し、泥と一緒に塩分を排水路に流す。
通常1回の「代掻き」作業をもう1回。それでも塩分濃度は下がりません。

「さらに3回、最終的に5回やりました」
ようやく田植えができたのは、6月2日。
時期を逸して苗はかなり大きくなっていましたが、
ちゃんと根付いてくれました。

そうして夏、ぐんぐん生長する根の様子を見て、大内さんは、
「これならイケる!」
と確信。それでもまだまだ気は抜けません。それというのも、地元のお年寄りが
「塩を被った田んぼのコメは、出穂後に実が落ちることがある」
といっていたからです。

そうこうするうちに、雑草もコメと一緒に伸びる伸びる。

ここで登場するのが、無農薬栽培の田んぼで活躍していた乗用の草刈り機。
除草剤を使わずに、イネの株間を走行し、雑草をなぎ倒していくマシンです。
除草と同時に、イネを傷めず土を撹拌して塩分を土に溶かし出し、排水と同時に流す。
そんな効果を狙って、真夏の田んぼを往復しました。

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大内さんはさらに別の田んぼに「好塩菌」なる菌を投入。

微生物の中には、塩分の使い土壌にも堪えて生き抜く「耐塩菌」という菌がいます。
そのまた中には、塩類を好んで食べて増殖する「好塩菌」という菌がいて、台風で舞い上がった海水を浴びた水田や、ハウスの土中に集積したハウスの塩類除去に役立っている。

そんな、塩類が大好きでバクバク食べる菌も投入。
とにかく塩分を取り除くために、可能な限りあらゆる方法を試みました。

←これが2月の田んぼ。

そして!

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「穫ったどぉぉぉー!」
 と、ガッツポーズ。
 収穫量も食味も、例年通り。
 ひょっとしたらそれを上回るほどの出来映えでした。


 宮城県で昨年津波の被害を受けた農地14300haのうち、昨年中に再開できたのは1000haにすぎません。なんとか再開できても、収量が落ちたり、枯れてしまった田んぼも…。

大内さんの場合、例年真夏に行なっている土用干し=田んぼの水を抜いて土の表面を乾かす作業をしませんでした。
「水を抜くと、土に残った塩分が濃縮されてしまうから、今回はそれがよかったと思う」
 私が最初にバクバクいただいたご飯は、塩害を克服した「奇跡のおコメ」だったのです。

津波と塩害という、想定外の事態に、あらゆる知識と経験を動員して、果敢に挑んだ大内さん。
5ha分の収穫は、そんな闘いの勝利の証です。


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 恵さんは、これを小さな袋に詰め、「復勝米」と名付けて販売。
 お餅と、ササニシキ、ひとめぼれの3種類があります。


■葦原の腐葉土が美味さを育む

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そんな大内さん夫妻は、おコメをずっと「ヨシ腐葉土米」というブランド名で販売しています。

津波が襲った北上川の河川敷には、広大な葦の群生が広がっています。
冬になると、黄金色に輝く葦原に太陽が沈む風景が、それはそれは見事で、
地元の人たちの自慢の種でした。

さらに、葦原の葦は、茅葺き屋根やヨシズの材料として、活用されていたのです。
「北上の葦は、伊勢神宮の屋根にも使われている。
 日本一の茅葺き屋根の職人集団、熊谷産業もここにいます」
大内さんは、そんな葦原の葦を堆肥として熟成させて土に入れ、おコメを作っていました。

震災後、飼料用に刈り取ったワラに高濃度のセシウムが降り注ぎ、
それを食べた牛が出荷できないという事態が起きました。
原発事故は、環境循環型の農業に大きな影を落としている。
同じイネ科の葦も例外ではないのかもしれない…。

塩害を乗り越えて、せっかくおコメが穫れたのに、心配は尽きません。
今年とれたコメは、検査の結果ND。

「今年は例年通り20ha栽培したい。
 検査して問題なければ、葦の堆肥も使っていきたい」


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↑は、震災前の葦原の風景(撮影/渡辺征治)

あれから1年。再び春がめぐり来ます。

今年の作付け面積は、去年の4倍。
改めて除塩に挑み、放射能のもたらす不安と格闘しながら、
大内さんは、コメを作り続けます。

☆大内夫妻の「米工房 大内産業」のおコメはこちらで販売
 EXAmall https://examall.jp/default.asp?act=item_categories1&Genre_ID=2

☆今回写真にご協力いただいた、石巻在住のライター 渡辺征治さんのブログ
 「ストリームバンク〜北上川の畔から」は、こちら
 http://streambank.exblog.jp/

2012年3月 4日 (日)

閖上にて 〜津波とセリと赤貝と〜

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あの震災から、もうすぐ1年。
仙台周辺で、最も被害が大きかった名取市の閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。

震災のあの日、多くの人が車で逃げようとして、渋滞に巻き込まれ、身動きが取れなくなり、
津波に呑み込まれて犠牲になってしまった。テレビや新聞で、何度も目にした地名です。

閖上の「閖」という文字は、漢和辞典に載っていません。元々この浜にご神体が「ゆりあげ」られたことから、そう呼ばれていたのですが、仙台藩主綱村が、門の内から水が見えるので、「閖上」と表記するように命じた——この地には、そんないわれがあるようです。

「日和山に行ってみますか?」
といってくれたのは、地元の農家三浦隆弘さん。

日和山は見晴らしのよい平野が続く閖上地区の中で、唯一の小高い丘。
すでにガレキは片付いていましたが、行けども行けども家の土台と枯れ草が残る、
荒涼とした景色が、果てしなく続いています。

ここには多くの人たちの暮らしと営みがあって、多くの方が亡くなったのに、
山の上には、ブロックに刺した卒塔婆が2つだけ。
いつしかこの山は、閖上を訪れる人たちの巡礼地のようになっていました。


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本当に何もかも、一切合切奪われてしまって、どこまでも住宅の跡だけが続いてる——。

どこに何があって、どんな人がいて、どんな暮らしがあったのか、伺い知ることもできません。

手を合わせ、山の上に、ただただ呆然と立ちすくむしかありませんでした。

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日和山のすぐ近くにある閖上港。
「ここで朝市を開いていたんですよ」

きっと休みの日になると、港の周辺には漁師さんや業者さん、農家の人や、住民も集まって、
活気づく人たちの声で賑わっていたのでしょう。

閖上は、日本一赤貝の産地。
名取川、阿武隈川の河口に位置する閖上には、栄養豊富な水が流れ出て、
肉厚で、ぷんぷくりんに身の詰まった赤貝を育てるのです。

こうして水揚げされた赤貝は、築地でも高値で取引され、
銀座の高級寿司店で「一貫2000円」近い値がついていたそうです。

市場も加工施設も亡くした閖上港に、数隻の船が繋留されています。
北海道はじめ、全国から送られた中古船が、操業を始めた様子。
これが復興の「第一歩」なのだと思いました。


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そこから三浦さんの畑がある、内陸の下余田(しもようでん)地区へ。
海側の道沿いには、水田が広がっていますが、昨年コメを作った形跡がありません。
畔も壊れたまま。なぜか丸々肥えたカモの一群がいて、まるで「ふゆみず田んぼ」の状態。
車が近づくと、バタバタと一斉に飛び立つのでした。

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道端に、まだ漁船が乗り上げたままの田んぼもある。

その前日、石巻で田んぼの除塩を繰り返し見事お米を収穫した大内さんの話をききました。
ガレキとヘドロを除去して、凸凹になった田んぼも整地して、用排水路を修復して、
やっと田んぼに水が流せるようになる。

水を入れて、掻き混ぜて塩を溶かして排水、そんな除塩作業を5回繰り返して、
やっと田植えができたそうです。

地盤沈下している閖上の田んぼはどうなってしまうのかな? 
それより何より、ここでお米を作っていた人たちは、今どうしているのだろう?

亡くなられた方も多い。
家も作業小屋も農機具も流されて、仮設住宅に入っている方も少なくないとききました。
復旧への道程は、まだ遠く感じます。


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こちらが「名取のひげダルマ」こと三浦隆弘さん(32)。
早くから環境保全や有機農業に着目し、食育NPOとしても活躍。
閖上から内陸へ5キロ隔て下余田地区で、セリやミョウガタケなどの、伝統野菜を栽培しています。

元々名取はセリの産地。豊富な地下水を利用して、8月末〜4月頃まで栽培が可能です。

閖上から内陸へ5キロ離れたこのエリアのセリ田は無事でした。

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私が彼のセリに初めて出逢ったのは今年の1月。

新澤醸造店の新澤巌夫さんに教えられ、仙台駅近くの「蔵の庄」という居酒屋でいただいた「せり鍋」がそりゃもうムチャクチャ美味かったのです。

知らない人は「セリだけで鍋?」って思うかもしれません。
だけど鶏の出汁にサッと潜らせて味わうだけで、もうシアワセ。特に根っこの部分がうまい、うまい!
“しっかり土に根っこを張って、生きてきたぞー!”感を、バリバリ感じさせるセリなのでした。

どんなに食べても太らない。胃もたれの心配もない。
博多のもつ鍋に負けない、仙台名物になれそう…。
「このセリを作ってる人に会いたいな」。

田んぼの畔などに生えるセリは、元々コメのお友だちです。
三浦さんは、野菜のほかに1haの田んぼで、お米を栽培しているけれど、
昨年は一部の田んぼが津波を被ってしまったのと、水路が壊れて作れませんでした。

今年は栽培する予定だけれど、「まだわからない」と心配そうな表情。
「塩分を除いて、ヘドロに混じった重金属がないか、調べなければ。
 そして放射能も心配」と話していました。

稲わらを土に鋤き込む循環型。だけどセシウムを取り込まないか心配。
ずっと「顔の見える販売」を心がけてきた三浦さんは、去年栽培した枝豆やミョウガタケ、セリを民間の調査機関で検査して公開。すべてND(10〜20bq/㎏)以下でした。

原発事故による放射能問題は、土と消費者に誠実に向き合ってきた人ほど、悩ませる。
震災から1年たっても、依然としてそんな現実が続いています。

その一方で、「三浦さんの野菜を食べ続けたい」という人が多いのも事実。
負けずに頑張ってほしいと思いました。

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三浦さんに、セリを一束いただいた帰り道。別れ際に、
「閖上の赤貝、食べられる場所はありませんか?」と訪ねたら、
「エスパルの浜やに行けば、あると思う」と教えられました。

仙台駅に連結した駅ビル「エスパル」。地下の商店街に「漁亭 浜や」はありました。
この店の看板メニューは「赤貝丼」。
水揚げされたばかりの赤貝を、8個も使って丼が一面橙色に染まるぜいたくな逸品。
元々水質の汚染や獲りすぎの影響で、漁獲量が減っていたので、
震災前も1日5食が限界の「幻の名物」だったのです。

だから今、店のメニューに赤貝丼は載っていません。

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やっと閖上では数隻の船が、漁を再開したばかり。
「閖上の港が本当に復活するまで、赤貝丼は封印します。それが社長の意向です」
と、店員さんに告げられました。だから、貝1個分のお刺身を大事にいただくことにしました。


閖上では、赤貝漁は少しだけ再開。
下余田には、塩害や放射性物質と格闘しながら、野菜やコメを作り続ける生産者がいます。

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閖上の赤貝、下余田のセリ。
名取で見つけた“希望の灯”。


いつかセリ鍋と赤貝丼を、
笑顔でガッツリ食べられる日が来るように——。

この風景を、胸に焼き付けておこうと思います。


☆三浦隆弘さん
http://plaza.rakuten.co.jp/shimoyoden/

☆漁亭 浜や
http://www.yuriage.co.jp

2012年2月 7日 (火)

いわきサイエンスカフェ②

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■築地市場と福島の魚 〜築地「神奈辰」粟竹俊夫さん〜

サイエンスカフェ当日、東京築地市場の仲卸㈱神奈辰の代表取締役粟竹俊夫さんから、「築地市場から見たいわき水産物について」お話がありました。

【粟竹さんのお話】
河岸に入って40年。うちの店はずっと小物=寿司種を扱ってきました。
福島産の魚で、いちばん印象が強いのは「原釜(相馬市)のアナゴ」。江戸前のアナゴにもひけを取らない太アナゴで、1本300gはある。お寿司屋さんは「アナゴは原釜にしてくれ」と。脂ののりもよく、すばらしいアナゴです。

2〜4月は、請戸(浪江町)、原釜界隈で獲れるアンコウ。築地の仲買担当者が集まって、「福島のアンコウがなとい困る」という話も耳にします。

5〜7月は、常磐物のスズキ。スズキは海の上の方を泳いでいるから、内湾物はときどき石油が身に入ってしまって、脂臭くなる。すごく敏感なんですね。その点外洋を泳ぐ常磐のスズキは、ぜんぜん脂臭くない。高級料理屋さんはよく「常磐物にしてくれ」と。スズキ、アイナメ、マコガレイ…こうした魚種の常磐物の評価は、非常に高いです。

しかし、震災以来、福島県産の魚は、築地にほとんど入荷しておりません。たまにヒラメなどが入っても、価格的に評価されないというのが現実です。

震災と原発事故からもうじき1年。放射性物質の汚染が回避されなければ、福島県産の魚が、築地に入荷するのは難しいのが実情です。築地の人間は、常磐ものがいいことは、みんな知っとります。早く正常な数値に戻って、水産庁がそれを明示して、「安全だよ」って形をとっていただいて、築地に出荷していただきたいと思っています。


■海のホットスポットは?〜福島県水産試験場 五十嵐敏場長〜
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さらに会場では、参加者からの質問を書いた質問が貼り出され、内容別に整理。そのひとつひとつに専門家が答えます。その内容は、いわき市のHPでも紹介されていますが、個人的に気になったものをいくつか紹介します。

Q.昨年10月に、四倉沖20kmの海底土壌で、3500bq/㎏を超える値が出ていて、12月に72bq/㎏に下がっている。これは異常なのでは?

A.放射性物資が一時的に拡散して濃い部分が沖へ行ったのか、それとも放射性物資が元々モザイク的に分布しているのか、わかりません。ただ、10月に3500bq/㎏という高い値が出たのは事実。継続して調査していきたいと思います。

Q.海底のホットスポットについて教えてください。

A.海底土壌の質によって、放射性物質の値は異なります。目の粗い砂場より泥場の方が高い傾向にあります。元々磯場の調査は難しいのですが、たまたま磯で採泥調査をしていて、時々高い値がポン! と出ることがあります。磯の中のスポット的な泥場が高くなることがあるようです。陸上のホットスポットとは意味が違いますが、海底土壌の質の違いにより、濃度の高い部分が点在する可能性があります。

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Q.海底を除染する方法はありますか?

A. 海底の泥の値は、調査開始時の10分の1ぐらいまで下がっています。放射性物質は、細かい粒子に吸着しているらしく、それが波と流れで掘り起こされ、運ばれている。一方、内水面の池や沼の値は下がらず、ずっと残っています。海には波と流れで「天然の除染」の作用がある。もっと継続的に調査して、結果を見定めるべきだと思います。
 ただし放射性物質がなくなることはなく、沿岸の数値が減っているということは、どこか別の場所へ移動しているはず。沖合い、もしくは南の方へ流れていっているのではないかと思います。

Q.放射性物質の行方は?

A. これは水産試験場ではなく、JAEA=(独)日本原子力研究開発機構の専門家によれば、放射性物質は、水深100mぐらいの泥の多い場所に一時的に溜まる。さらにその3倍ぐらいの時間はかかるが、水深1000mの深海へ運ばれれば、そこからなかなか動かないでしょうとのことでした。


■福島の漁業者たちは〜JF福島漁連 野崎哲さん〜

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会場には、福島県漁業協同組合連合会、代表理事会長の野崎哲さんの姿もありました。福島の漁業者を代表して、会の終了後に少しだけお話を伺いました。


Q.現在も、福島の海にNDの魚はいるのですね。

A. 底引き網にはいろんな魚種の魚が入るわけで、NDの魚だけ獲る漁法はありません。また、漁業が再開しても安全なものだけだけを売って、そうでないものを捨てるというやり方では、採算がとれない。その分を行政にバックアップしていただける体制が必要です。

Q.漁業再開の見通しは?

A.仮に安全なものを売れる体制ができたとしても、市場流通の中で、それが売れなければ腰砕けになってしまう。コメのような失敗のないように、慎重に進めていきたい。急がば回れです。

Q.いま、漁業者の方たちは、どうされていますか?

A. 震災後は、東電の補償と国のガレキ撤去の仕事があるので、1日1日は生きていけます。ただし、この状況が長引けば、中には「やめます」という人も出てくるでしょう。最終的に福島の漁業が、産業として生き残れるかどうか。それがこれからの課題です。


〈サイエンスカフェに参加して〉
東京ではなかなかわからない、福島の海と漁業の実情がリアルタイムでわかる集まりで、会場に水産試験場はじめ、現場で調査に当たっておられる研究者や漁業者が一同に会しているので、わからないことは、その場で質問できてしまう有意義な会だったと思います。

調査結果を踏まえても、決して明るい状況とはいえず、福島県ではまだ漁業再開の見通しは立っていません。これからも綿密な調査が続けられれば、魚種や海域による汚染状況の違いや、他の海域への影響がわかってくると思います。

福島の漁業に、明日はないのか? 
その結論を出すのはまだ早くて、安易に「希望が持てる」といえる状況ではありません。
だけど、地元の関係者は決して「絶望していない」。

それがわかっただけでも、収穫だったと思います。

【いわきサイエンスカフェ】
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/bukyoku/noseisuisanbu/suisanshinko/013474.html


2012年1月29日 (日)

いわきサイエンスカフェ①

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■142種、1972検体を調査
 1月15日、いわきを訪れた目的がもうひとつ。
 福島県水産会館で開かれている「第3回いわきサイエンス・カフェ」に参加するためです。
「漁業に関わるさまざまの立場の人たちが、情報を共有し合い、
 これからの海と魚と放射能について考えていく」ために、
 いわき市が東京海洋大学の協力を得て、毎月開いている会合です。

「カフェ」という名前の通り、自由に意見交換ができるよう、ホントにお茶とお菓子が配られます。

ひとつだけ参加者に求められたのは「人の発言や考えを否定しないこと」。

現場には、福島県のいろんな水産関係者が集まっていましたが、
役職抜きで、あくまでも個人の立場で話す。それがこの場で求められるルールです。

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最初に福島県水産試験場、水産資源部長の水野拓治さんから、「水産物における放射性物質のモニタリング経過について」説明がありました。

発表されたのは、放射性セシウム134と137の合計値。
2011年4月7日〜12月28日に、採取されたものの結果です。

相双海域、いわき海域合せて、これまで142種、1972検体に及ぶ調査が行なわれました。

いわき海域では、934検体のうち、暫定規制値の500bq/㎏を超えたものは98。全体の約1割。
相双海域では、1033検体のうち32で、約3%。

原発に近い相双海域よりも、南側のいわき海域の方が多く検出されています。

当日配布された資料は、いわき市のHPでも発表されているので、下記のHPをご参照下さい。
そこから抽出したデータを見ると…。

http://www.city.iwaki.fukushima.jp/bukyoku/noseisuisanbu/suisanshinko/013247.html

■規制値超の魚・NDな魚

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これまでに一度でも500bq/㎏を超えた魚介類は、21種。
春、ニュースになった小女子や、ヒラメ、メバル、アイナメ等が高くなっています。

ただ、中にはNDのものもあり、
これらの魚種、すべてが一様に高濃度で汚染されているわけではないようです。

平均値が最も高いのは、コウナゴ、シロメバル、クロソイなどですが、
去年高かったコウナゴの値が、今年もまた高くなるかもわからない。

また魚種によって検体の数もかなりバラツキがあり、
検体の少ない魚種は、平均値が高くなる。そんな印象も受けました。

最大値が250〜500bq/㎏の魚介類は、シロギス、クロメバル、ニベなど、21種類。
同様に100から50bq/㎏のものは、ウミタナゴ、イガイ、ゴマソイ、イセエビなどの23種。
100bq/㎏未満のものは、マダイ、ゴマサバ、アブラツノザメ、マイワシ、アサリ、マダコなど36種。

そして検体すべてがNDのものは、
イラコアナゴ、カツオ、サンマ、シロザケ、トラフグ、シイラ等が16種類。
ヤリイカ、イイダコ、ケガニ、ズワイガニ、マガキ、マボヤ、ヒトエグサ(アオノリ)など18種のイカ、タコ、甲殻類、海藻からは、検出されていません。


新聞や報道は、汚染された魚、しかも高濃度汚染の部分ばかりを強調するけれど、
実際福島の海には、現時点で低濃度のものも、汚染されていない生き物もちゃんといるんだ。

回遊魚だけでなく、カニやホヤやノリも汚染されていない。
それがわかって、個人的にホッとしたりもしました。

■値が下がる魚・変わらない魚
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また、魚によっては、時間の経過に伴い、検査値が下がっているものも。シラス、ホッキガイ、アワビ、アラメなどには、低下傾向が見られます。

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一方、ヒラメやコモンカスベなど、時間がたっても低下傾向が見られない魚も多いそうです。

■海域による違い
 当日は、エリアの違いによる、汚染状況の違いについても、説明がありました。

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原発を中心に、福島県沖の海岸を、9つに分けて調べてみると、
最も濃度が高いのは、原発南側の⑥番。いわき市北部の沿岸で、暫定規制値を超える検体が82確認されています。

一方、原発北側の南相馬の方がずっと低く、規制値を超えた検体も2と格段に少ないことがわかります。
宮城県境に近い①は、規制値超はゼロ。
逆に茨城県境に近い⑧では、500bqを超えるものが19出ている。

放射能は「北より南へ」という傾向は、否めないようです。

これらの結果を踏まえて、水野さんは

・放射能は、沿岸から沖合いに拡散している
・原発事故から9カ月経過した12月の時点でも、放射能濃度が下がらない魚種がかなりある。
・国の規制値の見直しで、かなり厳しい状況になりそうだ。
              ↓
 そして、
 まだ、漁業を再開できる状況にはない。

 との結論でした。

2012年1月25日 (水)

いわきの久之浜へ④

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 久之浜漁港を後にして、地元の集落を通って久之浜第一小学校を目指しました。
 すると、景色が一変。
 被災して大きく傾いた家、コンクリの土台しか残っていない家が圧倒的に多いのです。
 
 「津波で流されたプロパンガスがあちこちで爆発して、火災をひき起こしたんだ」
 あまり報道されなかったけれど、あの日、気仙沼で起きていたのと同じように、地震と津波、そして火事が連続して起きていたのです。

 倒壊したり、消失した家は全体の3分の2。
 主も家もなくした敷地に、背の高い木が1本。
 根本に花が手向けられていました。
「ここで誰かが、亡くなったんだね」


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小学校の児童は180人。あの日高学年は学校に残り、帰り始めた低学年はなんとか無事に保護できたので、
津波に巻き込まれた子はいなかったそうです。

しかし、3分の2が自宅を失い、放射線の影響も心配されたので、子どもたちは別の二つの学校に分かれて間借り。さらに避難所先や仮設住宅から通う、落ち着かない日々を送っていました。

ようやく除染が終わり、線量も下がった10月、ふたたびここへ戻ってきたのです。
20キロは離れた市内の仮設住宅から、毎朝通っている子も少なくありません。震災から10カ月以上が過ぎても、ちっとも元通りではないのです。


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子どもたちが、学校へ帰って来る前に、校庭の手前に小さな商店街ができていました。
電気屋さん、食堂、花屋さん、八百屋さん、魚屋さん……店舗を失った久之浜地区の商店が、ここへ移転して「浜風商店街」が生まれていたのです。


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プレハブの店舗が肩を寄せ合うように連なる商店街の一角。
かつての久之浜の思い出を、たくさん集めたコーナーがあり、
震災前の久之浜の市場の様子を撮影した写真を見つけました。

カゴ一杯のタコを並べて、活気づく漁師や市場の人たち。
ここが本当に豊かな漁港で、海の仕事を生業にしていた人たちが多いことを物語っています。


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その一方で、震災直後の街の様子を移した写真も、壁いっぱいに貼られていました。
ひときわ目を引いたのは、壁一杯に花や鳥など、カラフルなイラストを描いた家。

「取り壊す前にペイントして、送り出す。みんな死化粧って呼んでる」と下妻さん。
学校へ向かう道の途中で、花の絵がめいっぱい描かれた郵便ポストを見ました。
地震でゆがみ、津波で海水をかぶって、赤茶色に錆び付いているのに。
花びらがいっぱい描かれて、まるで最後のおしゃれをしているよう。

「お別れする前に、いちばんキレイにしてあげよう」
 
 そんな久之浜の人たちの思いやりが、伝わってくるのでした。


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 商店街の魚屋さんで、買い求めたのはカレイの干物と塩辛。店のおばちゃんが、
「今は、魚もイカも地元の魚が使えないから、市場に入った他県産の魚を材料にして作っている」
 と、話してくれました。
「東京から来た」
 といったら、
「あらあ」とびっくり。
 おまけまでしてもらって、なんだか却って申し訳ないような気持ちです。

 小学校には、たくさんのアーティストやボランティアが支援にやってきました。
 中には「キャンドル・ジュン」(広末涼子の夫)とかブラザートムとか、かなり有名な人もいたみたい。それでも今、下妻先生がいちばん望んでいるのは……

「子どもたちとちゃんと授業がしたい。カリキュラムをちゃんと終えたい」
 長い間、おちついた環境で勉強できなかった子どもたちにとって、それは本当に当然のことだと思いました。

 第三者は、今、そっとしてあげることしかできないのかもしれません。
 周辺の住民の方たちも、漁師さんも決して諦めていない。
 不自由な生活の中で「漁業の再開」や「ちゃんと勉強」することを望んでいる。

 とにかく、いわきの四倉と久之浜。
 ひっそり静かに、そして懸命に闘っている人たちがいる、この場所の名前を憶えていてください。


 


2012年1月24日 (火)

いわきの久之浜へ③

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 四倉の漁港を離れ、北へ約10分。久之浜漁港へやってきました。
福島第一原発から、南へ約30km。いわき市では最も北にある漁港です。

市場近くのオイルタンクは、無事のよう。
15日に放映されたNHKスペシャル「知られざる放射能汚染」にも映っていました。

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これがいわき漁協、久之浜支所。
元々底びき網や船びき網での漁業がさかん。タコ、イカナゴ(小女子)、カレイ、イカ、タラなどの水揚げの多い漁港でした。

外の壁に貼紙がしてあったので、近寄ってみると…


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海のガレキ撤去作業のお知らせ。
漁師さんたちは、操業を自粛していますが、
定期的に海に出て海の掃除や海洋調査のための漁に出ているようです。

その隣には、中古船情報のお知らせ。
北海道の八雲で使われていた船「FPR2.8tを380万円で譲ります」というものでした。


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市場の中はきれいに片付いていましたが、やはり水揚げがないせいか、
中はガラーンとしています。

それでも船は、ちゃんとスタンバっている。

「震災直後より、船が増えていると思う」
と、同行してくれた久之浜第一小の下妻先生は、子どもたちに「地域の産業」を教えるために、
よくこの漁港へ来たそうです。


久之浜地区は、昔から漁業と共に栄えたエリア。
児童の父兄やおじいちゃんは、漁師だったり水産加工会社で働いている人も多いらしい。
そこへ地震、津波、それに伴う火災、そして放射能。

大切な学区が4つの災難に見舞われてしまったのです。


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操業の目処は立たなくても、ちゃんと船をメンテナンスして
「いつでも出航するぞ!」と訴えている気がしました。


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「地震前は向こうの堤防まで、渡っていけたんだよ」
 以前は岸壁で釣りに興じる人も多かったそうですが、
 震災と原発事故は、市民のそんな楽しみすら奪ってしまいました。

 それでもぽつんと1人、釣り人が釣り糸を垂れていました。


2012年1月23日 (月)

いわきの久之浜へ②

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 仮設住宅が立ち並ぶ、いわき市の中央台を後にして、海岸へと向かいました。
たどりついたのは、新舞子海水浴場。なだらかな海岸線がどこまでも続いているとても穏やかな浜でした。
海岸線が入り組んでいて、入り江の多い三陸とは、景色がぜんぜん違う。
それでもたしかに津波と地震の爪痕が残っていました。

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浜辺の駐車場は、地面に段差ができて、まるでケーキみたいに、地面の地層がざっくりとむき出しになっていました。
夏は海水浴で賑わう場所ですが、今年の夏は誰も泳げなかった。

海岸沿いの道を北へ向かう途中、
「ここのレストランもなくった」
「ここに喫茶店があった。名物店長がいた」
「この店も…」
 と同行してくれた下妻先生。
 家族連れやカップルで賑わっていたはずの海岸通り沿いの店は、大部分が被災してクローズ。
 高台で新築の建物には、からくも難を逃れ、なんとか営業を続けている店もありました。
 


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そうして北へ向かい、たどりついたのはいわき七浜の北から2番目、四倉漁港。
ホッキ貝やタコ、カレイの漁がさかんな港でした。
市場の骨格は残っていますが、人の気配がありません。


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だけど、岸壁にはちゃんと漁船が繋留されているのです。

気仙沼や志津川に比べると、地盤沈下も少なくて、港はかさ上げしなくても使えるように見えます。

だけどあの日の原発事故以来、
沿岸漁船の操業はストップしたまま。
水揚げは行なわれていません。


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右から読んでも、左から読んでも「丸共丸」という船が、市場の真ん前に置かれていました。

よく見ると、船体のあちこちに穴が空いている。
修理するべきか、このまま廃船にするか、迷っているようにも見えました。

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誰もいない、市場の奥の壁には「福島の豊かな海を返せ」の横断幕。
漁師さんや、水産関係者には会えなかったけれど、
地元のみなさんの思いは、この1行に尽きるのだと思います。


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市場周辺の空き地には、船の残骸が積まれていました。

本当はとても豊かな浜だったのに…。

人の影も声もない四倉漁港を後にして、海岸沿いを北へ向かいました。


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